【新社会人になる方へ】社会に出て働ける自身なんて無くていい理由

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こんにちは。リチャードです。

今回は将来への不安を跡形もなく消す方法についてお話します。

考えると悩むは違う

私たちは考え方について誰からも教わらず大人になってしまったので、今あなたもそうですし、私もそうなんですが、ほとんどの人はみんな考えるという行為を我流でやっているんですね。

例えば俺の将来はどうなるんだろうって、お金が足りなくなるんじゃないかとか、貯金はどれくらいすればいいのか、仕事をこのまま続けられるのか。

そう言うことで考えると思うんですが、そういう将来の悩みって今の時代、もはや30分程度で答えが出せるんです。

しかし多くの人は、我流で思考を張り巡らすため、将来への不安というものに何日も、長ければ何年も漠然と悩み、苦しみ続けているんです。

30分でわかる事を数十年もしくは一生考えつづけている。

いや考えているんじゃないんですね。

悩んでいるんです。

考えてたら嫌でも答えが出るはずなんですが、悩んでるんで一生答えが出ない。

そういう悩みで苦しくなってる時は、まずシンプルに悩むことをやめなきゃいけない

悩むことをやめ、考えることに切り替える。

実際、悩んでいる状態というのは、問題がいくつも頭の中にあって、その問題がジャグリングしている状態なんですが、だから悩んでいるときは問題に触れようとしても、次々と問題が入れ替わって、その問題に触れることすら出来ない。

正に堂々巡りなんです。

だから苦しい。

ここから脱出する方法は悩むことをやめ、考えることです。

考えるとはこうやります。

未来とは不確定要素の塊

頭の中でジャグリングしている複数の問題をすべて紙に書き出し、一個ずつ捕まえて殺していく。

この飛んでる玉は一個の問題で、それを考えようとしたら、頭の中でジャグリングが始まるんです。

悩んでいるのはこの状態。

そもそも人間の感情にはセットでトリガーが存在します。

例えば喜びという感情にはその人にとっての幸福な出来事というのがトリガーになっていますし、悲しみという感情はその人にとっての不幸な出来事というのかトリガーとなっています。

じゃあ、不安なトリガーは何かって不確定様子です。

わからないという不確定要素が不安という感情を引き出している

だから未来は不安なんです。

未来とは分からないことだらけ、不確定要素だらけで構成されているものだから。

未来を考えるとき、私たちは必然的に不安になる。

ただ、それは未来に不安になっているんじゃないんです。

不確定要素に怯えているだけ。

大学生がハマる不安の罠

彼もこのトリックにハマった一人です。

こちらは大学二年生の男性からの質問です。

「こんにちは記事を最近になって見漁り、リチャードさんの達観した考え方に脱帽しました。そのすべては、到底私などには理解し得ないと思うほどに感じています。私は今大学二年生ですが、自分は能力もなければと気力な人間であるということに気付き、社会に出て働ける自信がありません。親は過保護ではないと思いますが、反抗期はありませんでした。拙い文章で申し訳ないですが、もしこんな文章からアドバイスをいただけるようでしたら頂戴したいです。」

彼は今大学二年生で特筆した能力もなければ、未来に対して特段目標も無いため、社会に出て通用する自信がない。

そんな私でも社会でやっていけるのでしょうか?

ということですが、ズバリ答えを言うと、数年後、彼は間違いなく社会に適応しており、問題なく人々に貢献できている。

それはなぜでしょうか?

私がずっと身近にいたある人の話をします。

その人は私が子供の頃から知っている人で、その人が何を好きで、その人が何を嫌いで、その人が何になりたいか、そういうことを全部知っていた。

隣にいつもいた人が実際、大人になってどうなっていったのかを見てみましょう。

その人は車が好きで小さい頃はミニカーにはまりそれで遊び、十歳ぐらいの時は将来は車のメカニック関係に聞きたいというほど、その人は車好きでした。

なので高校卒業と同時に上京し、理工学系の大学に進みました。

ただ、そこからは予想もできない事が次々とその人に起きたんです。

まずその人は、大学時代に子持ちの女性と付き合って裁判沙汰にまでなり、それが引き金の親子絶縁状態になり、結果勉学はおろそかになり、大学を中退しました。

その後、何か職に就かなきゃとつてを辿り、何とか医療従事者の正社員としてその人が働き出しました。

そして、医療従事者として数年働いたのですが、そこでは異常な職場環境と過酷な労働、荒んだ派閥争いと人間関係で充満しており、その人はその職場で数年間働きましたが、疲労がピークに達し、精神科で適応障害と診断されまもなく会社を退社。

それからしばらくフリーターになり、それが個人事業主になって副業に手を出したり、精神が回復してからは工場などの派遣で様々なバイトをしながら、最終的にアンダーグラウンドな賭け事をする仕事の手伝いをしたりして時は過ぎ、現在その人は私と一緒に仕事をしています。

この間大学を中退してから六年。

その人は子供時代からずっと何十年も一緒にいて、悪いことも一緒にしたりして、私はその人の事を色々知っているつもりでしたが、その人が医療従事者をやりたいとか一度も聞いたことがなかったし、個人事業主になりたいとか聞いたことがなかったし、クリエイターになりたいとか聞いたことがなかったし、アンダーグラウンドな店で働いていたとか面白いなって思ったんです。

ただ、その人が唯一やりたいと言っていた車関係については車の免許すら取っていないというこの現実。

何が言いたいかって、答えはここにあるんです。

なるようになり、やればでき、未来は不確定が過ぎる。たとえ目標があったとしても、たとえ目標がなかったとしても、たとえすばらしい才能があっても、まったく無力であっても、我々の人生に注ぐ課題はさほど変わらず、やる行為もさほど変わらない。

考えれば考えるほど人生でやっていることはシンプルなんです。

やるのかやらないのか、やったのかやらなかったのか。

人間がしていることって、それ以上でもそれ以下でもない。

問題は何かって、そうじゃない、と思うその思考にある。

人生は困難であり、複雑であるというそのフィルターが現実さらに複雑に見せている。

アドラーがこう言っていました。

人生が困難なのではない。あなたが困難にしているだけだ。”

このワンフレーズにすべての原則が詰まっていると思います。

社会で働ける自信がないという彼の悩み。

彼は自分の頭の中で過大に社会を持ち上げ、仕事というのは特別なものだと誇大妄想を膨らませ、自分なんかにはできないんじゃないかって自傷に入っている。

知らないという一点でこれだけ複雑化できる。

ただ、現実は真逆

社会はそんな大層なものではなく、仕事はゲームの延長であり、五体不満足でも圧倒的な社会貢献はできる。

未来はただただ選択していく、ただそれだけ

頭の中の悩みと現実は全く違う。

私たちは実際、今まで生きてきてしてきたことって、やるかやらないかという選択をしてただけなんです。

難しいことは何もしてない。

そしてこれからもやるかやらないかという選択をするだけ。

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