こんにちは。リチャードです。
コンフォートゾーンというのは、慣れ親しんだ世界。
簡単に言えば、昨日までの自分が作り上げた世界。
でも、我々がこうなりたいっていうのは、常に未来のこと.
それではゴールと言った時、この未来のゴールの世界は昨日までの世界とは違う。
なぜなら、現状の延長線上にゴールはないから。
ゴールというのは現状の外にあって初めてゴールという。
今回は、その日常の連続の先にゴールはないよと言う非常に残酷な話です。
目次
コンフォートゾーンとは人が快適に過ごせる空間
皆さんはコンフォートゾーンと言う言葉を知っていますか?
人が快適に過ごせる空間、それを心理学用語でコンフォートゾーンといいます。
家なんかもその一つで、男なら髪の毛ぼさぼさ、女なら化粧をしない、そんなラフな状態でも何のストレスもなく過ごしていられる。
そんな状態をコンフォートゾーンといいます。
自分たちがそこに居ることが心地よいコンフォートな空間であなたは実際にはこの記事を読んでいる。
コンフォートゾーンを出るとどうなるのか
例えば、サッカーの試合をする時にホームとアウェーというように、毎週試合ごとにスタジアムを変えているんです。
自分のいつも練習しているフォームで敵を迎え入れて試合をしたり、逆にアウェーに行って試合をしたりする。
もちろんスタジアムといっても場所は地続きじゃなくて海を挟んだりしているので、だから毎回彼らは結構な距離を移動して試合をしているんですね。
そこで非常に興味深い話を聞いたのですが、彼らはアウェーでの戦いの時は最初から勝つつもりが無いらしいんです。
つまり海外サッカーでは敵のスタジアムに入って戦う時、最初から勝ちを狙うのではなく、徹底的に引き分けに持ち込む戦い方をするんです。
なぜかってアウェーでの戦いは精神的苦痛が半端じゃないからです。
ひとたびアウェーのピッチに立てば、その選手に向かって人種差別などの罵詈雑言が降り注ぎ、ボールを持てば怒号が聴覚を塞ぎ、怯んでミスをすれば拍手が起きる。そんな殺気立った空間でサッカー選手たちは90分勝負しなきゃいけない。
いくらプロと言えども足は竦むし、恐怖は感じる。
故に、自分の100%がまず出せない海外のアウェー戦では実力が均衡するか、ちょっとでも相手が上なら最初から引き分けを狙う。
そして、これは何もサッカーに限らないことです。
前に立って発表する時も同じですよね。
数百人の見知らぬ大人を前にプレゼンをするってなると怯む。
慣れてないなら尚更そうです。
鼓動が早まって声が裏返ったりする場合もある。
そうなったらもういいプレゼンをするというよりも、失敗しないように振る舞うように完全にスイッチが切り替わるんです。
人は自分のコンフォートゾーンの外を出た時、急激に上がったりして声が裏返る。
オリンピック選手なんか見てて思うのは、声を発さなくても緊張しているのが分かる。筋肉がこわばって呼吸が浅くなり、リズムが乱れている。
コンフォートゾーンの外に出たら人はそうなる。
コンフォートゾーンを維持する理由
そしてこれは知的活動でも同じことが言えます。
簡単に言えば、コンフォートゾーンじゃないときは知能レベルが下がります。
皆さんもありませんか?
なんで思いつかないんだって自分を責めて、責めて責め続けたのに、何もでなかったこと。
8時間とか同じことを考え続けるんですが、無理な時があるんですね。
でも、「あー、無理だ」って開き直って風呂に入った途端、唐突に思い浮かぶことがある。
8時間欲しつづけていた回答がいつも通りの生活に戻った瞬間、思い浮かぶんです。
基本、我々がパフォーマンスを発揮できるのはコンフォートゾーンの中に居る時であり、だからこそ我々はコンフォートゾーンを維持しようとして生きているのです。
声が裏返ったり、体がこわばるのは、環境がコンフォートゾーンではないというだけ。
これは環境と自分の関係の話なんです。
だからみんなパフォーマンスを発揮したいがために、コンフォートゾーンに戻ろうと瞑想したりする。
コンフォートゾーンを脱出するには
ちなみに、瞑想マニアって最近多いですよね。
そういう人たちに一つ忠告をしておくと、そのコンフォートゾーンの維持という行為は一方ですごくいいんですけども、一方では果てしなく狂暴な障害になることを忘れてはいけません。
コンフォートゾーンというのは、慣れ親しんだ日常のことですよね。
言ってしまえば、昨日までの自分が作り上げた世界です。
でも我々がこうなりたいって願ってきたことは常に未来のこと。
それをではゴールと言った時、この未来のゴールの世界は昨日までの世界とは違うんです。
つまり、我々がゴールを設定した時、そのゴールは我々が今過ごしている現状の延長線上にはない。
そういうゴールというのは現状の外にあって初めてゴールという。
もしコンフォートゾーンの中にあればそんなものはゴールとは言わない。
ただの日課です。
ということは、我々が掲げるゴールは常に安心安全の領域の外にある。
だから動くと戻ろうとするし、見ようとすると塞がれるし、達成しようと動くと達成させないように動く。
意識ではそうしたいが無意識がそうさせない。
すごくすごく怖いことです。
これが実はコンフォートゾーンのもう一つの働き。
コンフォートゾーンの外へもし一歩でも踏み出せば恐怖が作動し、あらゆる手段を使い現状に引き戻す。
なぜ夢をかなえられないのか
なぜ大衆は平均中立調和安全安心を信仰するのか?
なぜ9割の人は夢破れるのか?
それは意志が弱いとか、そんな簡単な問題じゃなかった。
そこにはコンフォートゾーンという人が人を守るために長年かけて身に着けた無意識の防衛本能が強く関わっている。
自分を守るために自分を現実の外に出させない。
コンフォートゾーンにいれば生産性は上がり、発想が豊かになり、体が言うことを聞くようになる。
しかし、その代償にゴールの達成は不可能になる。
ここで一応ゴールとは何かお話ししておきますが、このゴールというのは現状の自分には想像もつかないような理想の状態をゴールといいます。
営業マンの契約件数が一軒二軒上がることは想像がつくわけです。
だけど、それが100件1000件になることは想像がつかない。
この想像がつかないくらいが正しいゴールの設定なわけです。
それは結果ではなく、やり方の想像がつかないということです。
不安恐怖言い訳が出る
ただ、そのようなゴールを設定したとき、我々のようなこの干し柿のようにしぼみきった右脳は、それは現状の外だから、そんなの無理だろうとできない理由を非常にクリエイティブに鮮明に作り出すんです。
例えば副業。
将来の自分の為に何か行動を起こそうと副業を考える。
次の瞬間、私達は頑張ろうと行動するのではないんです。
その発想からどうやったら逃げれるか考えるんです。
いつもの睡眠時間が削られる、いつもの仕事に支障が出る、とにかく挑戦するとコンフォートゾーンが崩れる。
そうなると私たちはそれをやらないほうがいい理由、やっても失敗する理由をものすごくクリエイティブに考え出すわけです。
これ面白いのが、普段はまったく何も考えられない人でもこれできるって聞いたら、それができない理由をものすごくクリエイティブに答えられるわけです。
つまるところ、コンフォートゾーンを維持するために知能が上がって、脳がものすごくよく動く。
こうして私たちは現状の外に出ることを回避する。
我々のこの長い人生には、行き方を根本から変えるようなポイント、チャンスとういものが定期的に降ってくるんです。
その現状を変えるきっかけ、ブレイクスルーのチャンスがくるたびに、我々はそれを鮮やかに切り替えすのです。
そしてその時、ものすごくクリエイティブに切り替えした言い訳を暗示のようにくりかえし、記憶から消しさっている。
これは普段真面目に仕事をしている人ほどやりがちです。
クリエイティブアボイダンス
私は学生時代、強大なボランティア団体に所属していましたが、そこで新しいプロジェクトをしようという類の話をするたびに声高に反論する人が一定数いました。
これは私の偏見なのかもしれませんが、そういう人は上に立つ女性に多かったです。
典型的な学級委員長タイプ。
新しい挑戦を始める見解を、誰かが述べる度に嫌悪を示していた。
それは意図的というより、無意識に嫌がっていた。
そしてそれをやらないほうがいい理由を非常にクリエイティブに発表し出すんです。
今ならあれが何だったのかわかりますが、あれはコーチング用語でよく使われるところのクリエイティブアボイダンスというやつです。
創造的回避。
コンフォートゾーンを乱す行為に対して、クリエイティブに回避しようとしていた。
そして、これは私たちがゴールを設定する時にも起きている。
目標設定をして頑張ろうって意気込んだのに、数日後には創造的回避の行動をとっている。
そこで如何に達成しても意味が無いかって、ぶつぶつ念仏のように唱えている。
皆さんがこれから何かを始めたとき、それを諦める最大の原因にクリエイティブアボイダンス、創造的回避が上がってくるでしょう。
そしてそれはコンフォートゾーンを守るための無意識の本能的行為なので、消すことは不可能です。
目に指を突っ込まれたら、まぶたを閉じるように、挑戦しようとしたら、創造的回避が起きる。
セットなんです。
もちろんコンフォートゾーンに居れば生産性が上がり、発想が豊かになり、体が言うことを聞くようになるでしょう。
しかし、その代償にゴールの達成は不可能になる。
いつもの日常、いつものやり方、いつもの思想を維持し続ける限り、コンフォートゾーンのなかに居続ける限り、その現状の延長線上にゴールはない。
ゴールは常に現状の外にあるんです。